ゲームを深く研究すること

ネット上で意見交換というか議論というか(面倒なので、以下「議論」と書く)をしていると、それを傍から見ている人に「怖い」と思われることがある。ウォーゲームに関すそもそも「怖い」という感覚は理力の暗黒面に通じるので、と余談は置いておいて、せっかく、ウォーゲームに関する意思疎通に興味を持ってくれた人が怖がってしまって、議論に加わってくれるかどうかはともかく、ウォーゲーム仲間として袖すりあえないのは不幸である。かといって、怖そうに見えるから議論をしないという結論には賛同したくない。議論している方はそうすることが楽しかったり、有意義だったりしているからそうしているのだから。

議論する側からすれば、議論だけがその人のすべてではないということをわかって欲しいのではないかと思う。四六時中議論してるわけじゃなくて(そういう人もいるだろうけど)、ゲームが好きで、より楽しくプレイするために議論することもある、という程度であることが普通なんじゃないかと。人を論破することが楽しいわけじゃなくて(そういう人もいるだろうけど)、基本的にはより面白くゲームをプレイしたい、という動機があるんじゃないかと。

話は少し変わって、こちらがおそらく本題。

ウォーゲームをプレイする人には、濃密に議論されたり、研究されたりしたゲームをプレイしたくない、という人がいるんじゃないかと思う。将棋やチェスやマージャンのような競技性の高いゲームではなくウォーゲームを選ぶ理由が、ウォーゲームには深く研究されていないものが多い、または深く研究せずにプレイすることを好むプレイヤーが多いことである、なんてことはないだろうか。そのようなプレイヤー同士がウォーゲームをプレイすれば、相手にコテンパンにされることは少ないし、そのようなプレイをしていて、他の濃密なプレイヤーに「あーあ、そんなヘボプレイじゃだめっすよ(笑)」とか言われる可能性も少ない、と。

別にそれが悪いとは思ってなくて、そういう人が少なからずいるんじゃないかな、もしそうだとしたら、そういう人を想定した態度を取っておいた方がより多くのゲーム仲間を見つけることができるんじゃないの、という考察のつもり。

ちなみに僕が将棋やチェスやマージャンをプレイしない理由は、深く研究するのが面倒だったり、深く研究したプレイヤーと遊んでも面白く思えないからだったり、そういう人も僕とプレイしてもつまんないだろうなと思うからだ。マージャンは捨て牌を見ても全然意味がわかんない。相手プレイヤーはたいていつまらなそうだったり、困っていたりする。あるいは、こてんぱんに負かされるか。かといって、やっぱり努力するのは面倒くさい。

圧倒的な力量や知識量を持つプレイヤーとウォーゲームをプレイして、コテンパンにやられるのは嫌いじゃない。Up Front!とかASLとかはそういうプレイができるんじゃないかと。レックのゲームとかもそうだ。その昔、池袋コミュニティカレッジでレックのメンバーとバルジを対戦するのは、コテンパンに負けるけれど興味深い経験だった。

ただし、コテンパンに負けて不愉快になることがないわけじゃない。不愉快になるのは負けて悔しいからではなく(それもあるけど)、「そのやり方はないんじゃないの?」という方法論だったり、「その態度はないんじゃないの?」という人間関係論だったりする。鮮やかな手法で負かされたときに「あー、このゲームはこうやって勝てばいいんだな。シミュレーションっぽいぞ」となればマル、「げ、その方法はちょっとエグいんじゃないの」となればサンカクまたはバツだ。あと、周囲にいる仲間たちと「あの作戦でちょっといじめてます(笑)」とか話されるのも、言い方によるんだろうけどちょっとフクザツな気持ちになる。