戦時中ってどんな世の中なのか

戦時中の国というと、年上の人たちから教わってきた、モノがなかったり、食べられなかったり、国家権力を恐れていたり、空襲を受けたりという様子を想像する。もちろん、そういう戦時中もあると思う。しかし、そういう戦時中だけが戦争ではないのだなということに、少し前に「ファンダンゴ」という映画を見ていてふと気づいた。この映画は(以下、この段落の終わりまでは「ファンダンゴ」の話)ベトナム戦争中のテキサス州を舞台にしていて、徴兵された若者たちの心の動きを軸に話が進むのだけれど、モノもあるし、食い物もあるし、恋愛だって(戦争の影は引きずるけど)あるし、怖い警察は出てこないし、もちろん攻撃は受けない。こういう戦時中ってあるんだな、と思う。

アメリカは現在戦時中なのだけれど、かの国を旅行してみてもそんな雰囲気はない。映画館も、テレビも、お芝居も、レストランも、それほど日本と違う様子には見えない。人と会って話しても、メールをやりとりしても、日本の人と特に変わらないように見える。この国は本当に戦争をしてるのか、という疑問は、日本は本当に戦時中じゃないのか、という疑問の裏返しでもある。

その国の資源を総動員してやらなきゃいけない戦争っておこるんだろうか?圧倒的に強力な国に侵略されて、かつ他の国が守ってくれない場合(イラクはそうだったんじゃないかと思う)におきるのかもと思ったりするけど、圧倒的に強力な国はよりコンパクトな戦争をしたがるんじゃないかと思う(イラクの戦争はコンパクトには終わらなかったように見えるが、案外それも意図的なものなのかもしれない)。もしかしたら勝てるかも、という希望のある戦争では総動員な戦争(=総力戦、でいいのかな?)をやったりするのか。

日本の軍国化を心配するとして、軍国化した日本ってどんなのなんだろう。先に述べたような「戦後に語られた悲惨で怖くて不自由な戦時中」にやっぱりなっちゃうんだろうか。現代の戦時中ってもっともっとうまくやるんじゃないだろうか。マトリックスみたいに、戦ってる(別に銃を持つだけが戦うじゃなくて、銃を作る資源を国に供することだって戦うことだ)という意識を持つことなく、戦争をサポートするような軍国化だってあるんじゃないか。

第二次大戦中の「怖い戦時中」や「怖かったけど悪いことばかりじゃなかった戦時中」を語り継ぐことはどんどんやってほしいし、是非見聞きしたいと思う。でも、現代の戦時中ってどんなものなのか、どんな景色を僕らに見せたまま戦争をやれるもんなのか、ということも知りたいとは思う。