映画の字幕

エピソード3の4回目を見た(以下、ネタバレなし)。最初の2回は字幕なしで、次の2回は字幕ありで見た。最初に字幕ありを見たときに今ひとつ気持ちよく見られないという気持ちがあったのだけれど、字幕ありをもう1回見てその感覚を確信した。

そもそも、僕は字幕なしで英語の映画を理解できるほど英語はできない。けれど、半分くらい言ってることは理解できて、かつ、字幕があるとより理解度は高まる。字幕でおおよその方向性を掴めるおかげで、セリフの音声を理解できる可能性が上がるのだろうと思う。

そんなときに、セリフの音声の意味と、字幕の意味が全然違うことがある。もちろん、字幕がセリフを完全に訳しているものではなく適切な省略によって作られていることは知っているし、必要に応じて順番を入れ替えたり、脚色によって省略された部分を補ったりすることもあるのだろうと思う。

不思議に思うのは、直訳してもボリューム的に全く問題ないのに、意味を変えているものだ。以下、エピソード3のいくつかのセリフ(ネタバレにはならないつもりだけど、注意したい人は注意してください)。うろおぼえなので誤りがあるかも。

  • We got 'em, R2.
  • よくやった、R2
  • I don't believe this.
  • 信じられない

いずれも大したことではない。映画全体としての意味合いに大きな影響は与えない。しかし、なぜ異なる意味にしてしまうのだろう?

  1. 前後の文脈を考えると日本語字幕の内容が適切。しかし、字幕の制限上前後の文脈を表現できないので、当該セリフの字幕を脚色している。
  2. 直訳して日本語字幕のような内容になる。指摘している僕がバカ。

。。。くらいの理由しか思いつかない。

字幕というものが、英語が全く理解できない人や、文字を早く読むことができない人たちをより幸せにするツールである可能性は否定しない。しかし、僕が指摘するような箇所をより直訳に近い内容に変えたとしても、彼(彼女)らの幸せはそれほど減らないと思う。

字幕をセリフを聞き取るためのツールとして位置付けるユーザはそれほど多くないと思うし、そのような人たちにとってあまり好ましくない字幕であることは、映画ユーザ全体から見たら切り捨ててよいボリュームであることもわからないではない。

でも、できるならば、字幕とセリフを比べながら映画を見る人たちにとっても気分よく見られる字幕というものに向けて、少しだけでもいいからシフトしてくれたら嬉しく思う。既にそのような努力はなされているのかもしれないし、過去になされた上で現状に決着しているのかもしれないけれど。

最後に、この文はエピソード3の字幕作成者を個人的に糾弾する意図で書かれたものではないことを記しておきます。僕は字幕作成者ごとの良し悪しはよく分からないし、僕にとっての字幕の良し悪しはあまり作成者に起因していないように経験上感じています。

ただし、彼女がテレビなどに出てきたときには不愉快を感じることが多いので、1秒と経たずにチャンネルは変えますけれど。