共同作業がうまくいかない訳(妄想)

仕事で使った画像とか、パワーポイントとか、PDFとか、エクセルとかを、共用のサーバだったり、Wikiだったりに掲載して、それをうまく活用しあうような体制ができたらいいなと思って始めたとする。元々、そのファイルを作って、使っていた人にとっては、それを保存する場所を変えるだけだし、時には間違いを指摘してもらえたり、よりよい方向への変更をしてもらえたりして、とても有益な思いをできるし、「役に立ちましたよー」とお礼を言われちゃったりすると、鼻の穴がフガフガしそうになったりする。

おお、これっていいじゃん。

でも、必ずしもいいことじゃなくて、「この画像のサイズを変えて」だったり、「こことここを直してもらえません」だったり、納得のいかない修正を加えられちゃったり、キライな奴に的外れな指摘を受けて憤っちゃったり、ということもない訳じゃないだろう。それに、その共同作業によって得られた成果が自分の中に結実することはほとんどなくて、やってもやんなくても待遇は一緒(会社的に言うならば「やらなかったら現状維持もできなかったんだよ」)だったりする。

例として仕事を使ったけど、これはたぶん、何事においてもそうなんだと思うよ。自分のやってることに見返りを求めると疲れる。見返りを求めて、きちんとそれを得ている人と言うのは世の中にたくさんいると思うんだけど、そういう人は僕が想像できないほどのバイタリティで見返りを求める努力をしているのだろうと思う。

やりたいことをやりたいようにやって、それがもしかして誰かの役に立って、それが不愉快に思わない(人の幸福が僕の不幸(単なる嫉妬だ)になることはときどきあるから)、というのが幸せなんじゃないかと。