好きな音が出る楽器だから、鳴らせる世界を残したい

PSE法で中古のアナログシンセを、これまでと同じ仕様で販売できなくなる。PSE法に対応させるような改造をすれば、音が変わってしまう。音が変わったら、好きな音を奏でる楽器ではなくなってしまう。だから、音を変えずにアナログシンセを鳴らせる世界を保って欲しい。

僕にとってはそれだけのことだ。

代用の楽器があるよ、という人は代用の楽器を使えばよい。それはアナログシンセにこだわろうとする人と同じ種類の思いであって、それを非難することはあまり面白いことに思えない。逆に、アナログシンセにこだわることを非難されることも、それと同じ。

アナログシンセをPSE法に対応させずに使うことで、大きな迷惑を人にかけてしまうならば、迷惑がかからないようにする努力はすべきだ。アナログシンセの電源を入れると、電源ケーブルと繋ぐと、大きな事故が起きる、有毒ガスが出る、火事になる、そんなことがあるなら、それらを防ぐための努力が必要だと思う。その事故を防ぐ過程でアナログシンセの音が失われるならば、それもやむなし。または、事故が起きない場所でしか鳴らせない器具にする、というのもひとつの解決策。

最初の段落の「PSE法」に置き換えられるものがあるなら、PSE法と同じように問題にすべきだ。曰く、「フィルターのチップの生産中止でアナログシンセの修理ができなくなる。(以下略)」などなど。とはいえ、部品が生産中止になったとしても、既存の楽器からパーツを集めたりして対応することは可能なんだろうから、PSEのように「今日からダメです」とドアを閉ざしてしまう規則と同じように語ってはダメなのか。

PSE法を語るために、経済だ、公共事業だ、という理屈を出さなければならないのは、何となく違和感がある。そのように語らなければ理解してもらえない人たちがいる、ということなんだろうか。そうかもしれない。そのような人たちに「音が変わる」ということを理解してもらうことは、たとえ現物を鳴らして聞き比べてもらったとしても、叶わないことなのかもしれない。

すべてのことをすべての人に理解してもらえるなんて思わない。理解できないことがあって、それはそれで大事にしてよい、ということだけでも理解して欲しい。