おとなを困らせたい

41歳になってこんなことを言うのも情けないが、僕の行動だったり思考だったりの動機のほとんどは「おとなを困らせたい」からきているように思う。おそらくその考えは子どものころ(小学校高学年くらいか)から変わっていない。おとなの定義が両親(主に母親だ)だったり先生だったりという身近な存在から、より広範囲の対象へと広がっていったという点での変化はあるし、自分が年齢的におとなになった後は、社会的強者を困らせたいというか、社会的強者が困っているのが面白いというこれまた情けない動機へと変化してきた気もする。

子どもの頃は、おとながナショナリズムだったり、戦争だったりを語ることが多かったから、外国人と仲良くしようとか、日本の戦争は間違ってたよとか、そういう理屈でおとなが困るのは小気味よかった。おとながいいよというクラシック音楽ではなくて、おとなが嫌いなロックや歌謡曲はうれしかった。ロックやニューミュージックを喜ぶ多数派をあざ笑うように出てきたテクノポップのカッコいいことと言ったら。