スター・ウォーズ好きはスター・ウォーズの物語を好むのか?

[書評]ウェブ人間論(梅田望夫、平野啓一郎): 極東ブログ

このエントリを読んで、表題の問いについて自問してみた。

僕について言えば答えはNoだ。物語はどうでもいいからこそ、6作全部を一定以上愛せるのではないかとすら思う。スター・ウォーズの物語は明るくもないし、軽薄でもないし、きわめて説教くさく、それでいて幼稚なところも多い。それらはいずれもあまり質のよろしいものでないように思え、僕にとってはどちらかといえばよくないものですらある。

しかし、スター・ウォーズの物語が語られる世界はあまりにも魅力的だ。エピソード1をアメリカで見たとき、僕はセリフの意味が半分以上わからなかったし、にもかかわらずこの映画の物語があんまり面白くないものだと確信できた。

しかし僕は「あぁ、今僕が見ているものはスター・ウォーズだ。僕はこの映画が描く世界が大好きだ!」と強く感じて心が震える思いだった。スクリーンに映される造形が、音の響きが、映画の様式が、省略された世界を見るものの想像にゆだねる語り口が、その映画がスター・ウォーズであることを僕に強く訴えかけ、その訴えに僕はコロリと参ってしまうのである。

「イォーク・アドベンチャー」だの「エンドア」だのを映画館に見に行って、ストーム・トルーパーの歪んだ声や、ブラスターの音を聞いて、そのうれしさのあまり物語からくるストレスが遥か彼方の銀河系に吹っ飛んでいったことも、これと同じことである。

思えば、クラウド・シティでダース・ベイダールーク・スカイウォーカーに衝撃の告白をした瞬間に、僕にとってのスター・ウォーズは終わっていたのかもしれない。それを挽回するチャンスがなかったわけではないが、スター・ウォーズ語り部がそれをすることはなかった(当たり前である)。以来僕は、スター・ウォーズを「好きな部分」と「どうでもいい部分」に分けてみる癖が染み付いてしまっているのだろう。

ジョージ・ルーカススター・ウォーズの世界観を語るとき、僕はそれを鼻で笑う思いで見聞きすることがほとんどだ(それでも見聞きしてしまう自分がかわいいと思う(笑))。神話がどうだ、禁じられた愛がどうだ、父と子の葛藤がどうだ、ハイテク対ローテクの戦いがどうだ、などなど。バカバカしくて聞いてられない。それにもかかわらず、スター・ウォーズの世界観に惹きつけられまくってしまう。そういうネガティブな要因をなぎ倒してしまうスター・ウォーズ世界の圧倒的力のあらわれだと思う。

スター・ウォーズの嫌いなところを数え始めたら、明日の朝まで続けられるほどあるかもしれない。しかし、星空に「STAR WARS」という文字がぶっ飛んでいくオープニングを見るたびに、不思議な興奮をおぼえずにはいられないのである。

Googleのスタッフたちが、スター・ウォーズが好きで、スター・ウォーズの世界を夢見てイノベーションを続けている、と聞いて「あ、もしかしてその人は、スター・ウォーズの物語と世界とを分けて考えているのかもしれない」と思ったりもした。でも、そもそもスター・ウォーズの世界ってそんなにテックレベルの高いものという印象はないんだよなぁ。

ついでに、冒頭のリンク先が引用している文章では「スター・ウォーズが好きという感じの若者」と言っているだけなので、あくまで論者のスター・ウォーズ感に基づいているだけなんじゃないの?とも。