哀しい予感

本多劇場の1列目。近すぎて見えないところがあったりもしたけれど、役者さんの目が潤んでいたりするのが見えたり、息遣いを感じることができたりするのは面白い。映画と違って、お芝居は見る場所によって表情が変わるのが楽しい。

以下、ネタバレはないと思うのだけれど、一応、お芝居の内容に関わる話。

こういうセリフの言い方は芝居がかったというべきなのか、それとも、原作の記述のニュアンスが残っているというべきなのか。お芝居が好みに合うかどうかは、セリフが現実的であるか(=現実の生活の中で違和感なく存在できるものであるか)どうかとはあまり関係なくて、現実的ではない言い回しがあったとしても、それはそれで説得力が出てしまったりすることもあるんだろう。実際、今回のお芝居でも、現実的ではない言い回しであっても、見ていて気持ちの中にストンと落ち着くものがたくさんあった。とはいえ、こういうことを感じたということは、ストンと落ち着かないセリフや言い方があったということでもあったのだろう。

舞台装置の入れ替えのためと思われる足音や物音がちょっと気になるところがあった。特に、人がいるかいないのかわからない家に入っていく場面で、足音や物音がしてしまうと、「この音は効果音なのか騒音なのか」を判断しなければならなかったりして残念に思った。

主人公がちょっと変わった人に出会って、自分の中にあるいろいろなものを認識していく、という筋立ては塚本ワールドということになるのかもしれない。別にそうであることはこの芝居の面白さや面白くなさとは関係ないが、作家性を見つけたような気になったときの感じる気持ちのちょっとした高まり(というか得意な気持ち)は面白くも恥ずかしい。