趣味としての個人情報保護

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個人情報保護関連の仕事を少しだけしてみて、この法律によって実際に自分が利益を得るのか、何かを失うのかについては明白な答えを得られていないものの、

  1. 本人に断りなく第三者に個人情報を提供しない
  2. 個人情報を供出するときはその目的や受け取り手を確認する
  3. 所有する個人情報には合理的な安全対策を講じる

。。。という考え方は、たとえ法律で定められなくても考慮して生きていきたい、と思うに十分な概念であると思っている。

ネットを始めた頃に、友人からのメールの宛先に自分のアドレスと自分の知らない人のアドレスが書かれていると、「僕はこの人を知らないし、ましてやこの人に自分のアドレスを知ってもらいたいかどうかもわからないので、今後はこのようなことをしないでください」とお願いしていたけれど、もう何年も前からそういうお願いは煩わしがられそうでしなくなった。

また、ネット上の日記とかで「昨日はXXさん(僕の名前)と新宿で飲んだ」などと書かれると「あぁ、ウソの理由で他の用事を断っていたら、アリバイが崩れるところでしたよ」とか思うものの、わざわざ訂正をお願いするのはやっぱり煩わしがられそうでできない。

煩わしがられる、というのは「どうしてそれをやめて欲しいのか」を説明する煩わしさでもある。相手から「何かやましいことでもあるの?」とか、「個人情報保護にうるさい奴だ(「藻前は個人情報保護厨かよw」とも言う)」みたいに思われてるんじゃないかと深読みしてしまったりで、かなり気持ちが沈んでしまいかねない。

確かに、前述のような事柄によって僕が受ける損失は大したものではない。個人情報漏えい事故の見舞金が500円の商品券、などという話しがあったと思うが、500円の価値があるかどうかすら怪しい。むしろ、闇雲に個人情報保護を実践することによって失われる機会や利益の方が大きいのかもしれない。生命や財産の危機とかいう大げさなものでなくても、メールアドレスを友達の友達に提供してもらえなかった故に、とても楽しかったらしい宴会に参加できなかった、という類の事柄は少なからずあるだろう。

また、良識あるものたちによっておこなわれた個人情報保護によって、僕が受け取るSPAMやDMや売り込み電話が減るのかと言えば、それも疑わしい。法律が定めるオプトアウトにしたって、怪しいSPAM送信者に依頼する気にはなれないし。既に出回ってしまっている僕の個人情報を、望まない業者から削除することも可能とは思えないし。

ただ、それでも個人情報保護に光を見てしまうのは、自分の個人情報が自分の制御できないところに出回っていることへの漠然とした嫌悪感と、法律や決まりを守ることに何となく嬉しさを感じてしまう自分の性格故なんだろうとは思う。今年の春くらいに「個人でプライバシーマークを取りたいな」と思ったことがあったが、ライフスタイルの一部として個人情報を適切に取扱うというのは何となくスガスガしいことに思えている。

個人情報を保護して欲しいと願う僕の気持ちは、単なる趣味からくるものなので、人に強制するつもりはありませんが、お渡しした個人情報を保護して欲しいと願うという考え方があるということを尊重して否定しないで欲しいとだけは願っております。