安全にしましょうという約束

子供だった頃のあるとき、それまでは車に注意して道路を渡るように教わっていたのに、「車にはねられたら、はねた車の方が悪いんだから」という理屈を教わった。その後、もう少し大きくなったときに、ツービートが「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言っていたけれど、それとはちょっと違うニュアンスなんだろうと思う。それまでは、怖くて、気をつけなければならない存在だった車が、実はこちらをはねたら困ったことになる存在だったという新しい価値観を覚えた瞬間だったか。

自分が車を運転してみると、歩行者がとても危なっかしく感じられる。そんなところを、そのタイミングで歩いていて、ドライバーがブレーキの上にきちんと足を踏ん張っていることだけにその人の安全がかかっている状態とか。足がブレーキから外れれば、もちろん、悪いのはドライバーだ。ドライバー、気をつけやがれ。ごもっとも。

車を降りた僕も、おそらくそんな考えを、明確にではないけれど、無意識のうちに持って歩いている。急いでいるからエイっと横断する。トラックの横をすり抜けるように歩く。などなど。

法律の上では、はねた車を運転している者に責任はいく。しかし、はねられた人がはねられる前に戻すことができるとは限らない。死んでしまえばそれでおしまい。大怪我もしかり。お金で解決できることだとしても、運転している人がすべてお金を払えるとは限らない。保険に入ってない人だったらどうする。そもそも、免許持ってないで運転してる人だってどれほどいるかわからない。

車に限らない。約束事だけで成り立っている安全がどれほど危ういものか。すべての危険を予測なんてできないとは思うが、本来それは危険なことなのだけれど、約束事だけで安全を担保していることって少なくない。

臆病になる必要はない。けれど、実は危険なことを何となく意識しておくことや、実は危険なことにさらに危険な方法で臨むことはないんじゃないか。まるで年寄りの説教のようだ。実際、僕は年をとったのだろう。